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No.007

木村 政彦 きむら まさひこ

【ジャンル】スポーツマン

15年間不敗! 史上最強の呼び声高い柔道家

■偉業・特記事項、ココがミソ!!

●1937年から全日本選士権3連覇。
●紀元二千六百年奉祝天覧武道大会で5試合すべて1本勝ちし、圧倒的な強さで優勝(1940年)。
●1949年の全日本選手権で優勝、その後も全日本選手権13年連続保持という驚異的な記録を残す。
●15年間不敗のまま柔道を引退したので、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、史上最強の柔道家と称されることが多い。
●荒々しい柔道スタイルから、「鬼の木村」の異名を持つ。
●プロレスラーに転向し、力道山と試合。
●海外での試合も行うなど、総合格闘技の先駆者でもある。

「史上最強」と讃えられることが多い柔道家・木村政彦。
その強さの秘密は、熾烈を極めた練習と、たゆまぬ向上心にあった。
自分に厳しく、新しい分野にも果敢に挑戦していく姿勢は、私たちに勇気を与えてくれる。

■人物データ

●生年月日/1917年9月10日(1993年4月18日没、75歳)
●出身地/飽託郡川尻町(現・熊本市川尻)生まれ
●職業/柔道家
●身長/170p
●体重/85kg
●学歴/旧制鎮西中学→拓殖大学

■名言

 

■ゆかりの地

●鎮西高校(旧制鎮西中学時代に全国大会で優勝)
●大慈禅寺(墓地、熊本市南区野田)

■ゆかりの人

牛島辰熊
力道山
エリオ・グレイシー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■紹介文

 全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退した。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、現在においても史上最強の柔道家と称されることが多い。また、その荒々しい柔道スタイルから「鬼の木村」の異名を持つ。だが、戦後、食えない時代にプロ柔道に参戦したこと、さらにプロレスラーに転向して力道山と不可解な謎の試合をやりこれに敗れたため、講道館をはじめ戦後の柔道界は木村の存在そのものを柔道史から抹殺し、柔道マニア以外にその名を知る者はいなくなっていった。しかし、2011年9月に出版された評伝『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)がベストセラーとなり、木村の名前は一気に一般世間に知られるようになった。さらにこの作品は原田久仁信の作画により週刊大衆で『KIMURA (漫画)』の題名で漫画連載、双葉社から単行本化され、さらに幅広い層の読者たちが、木村政彦の存在を知るようになってきている。

■参考資料

 

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