■紹介文
日系ブラジル人(在外日系作家)で、ブラジルを代表する国際的画家。日本生まれであるが、後にブラジルに移住、同国を中心に活動した。マナブ・マベ、間部学とも表記される。
画風は初期は具象画、後期は暖かな色調・筆の抽象画へと大きな画風の変遷があり、その抽象画は「ブラジルのピカソ」とも呼ばれた。作品の多くは現在、生誕地である熊本県宇城市の『不知火美術館』に所蔵されている。
受賞の歴史としては、1959年(昭和34年4月)ブラジル美術界の年間総合優秀賞の第1回「レイネル賞展」においてレイネル賞を受賞。同年9月、34歳で第5回「サンパウロ・ビエンナーレ展」で国内最高賞受に輝く。さらに、その10日後にはアンドレ・マルローに認められ、第1回パリ青年ビエンナーレにブラジル代表として招待、「第1回パリ青年ビエンナーレ展」最高賞を受賞する。この2つの受賞がアメリカ・タイム誌に『MABE黄金の年』として取り上げられ、一挙にブラジルを代表する国際的な在外日系作家として脚光を浴びる。のちに世界各地の展覧会に招待されるとともに、幾度となく個展も開催するなど、世界的な知名度を上げた。
1979年(昭和54年 1月)、故国の日本で開催された個展を終え、100点余の作品を積んだヴァリグ・ブラジル航空機が成田国際空港を離陸後に遭難。代表作の大半を失うという悲劇に見舞われる。しかし、間部はその後14年かけて喪失した1点1点を画き直したという。