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No.013

川上 哲治 かわかみ てつはる

【ジャンル】スポーツマン

今なお語り継がれる野球界の大スター!

■偉業・特記事項、ココがミソ!!

●「打撃の神様」といわれ、戦時中から戦後におけるプロ野球界の大スターとして活躍
●プロ野球史上唯一の「V9」(9年連続セ・リーグ優勝、日本一)を達成
●現役時代、銀座の運動具メーカー『南風運動具店』からプレゼントされた赤いバットを使ってプレーし、「赤バット」は川上のトレードマークとなった。この運動具メーカーとの契約は、プロ野球選手のCM出演第1号ともいわれる。
●1936年、春の選抜中等学校野球大会に出場(準優勝)し、決勝戦終了後に甲子園球場の土をユニフォームのポケットに入れ、母校のグラウンドに撒いた。甲子園の土の持ち帰り第1号とされている。

野球ファンのみならず、多くの人が知る「打撃の神様」川上哲治。プロ野球での活躍はもちろんのこと、実は甲子園球場の土を持ち帰った第1号だったり、プロ野球にサインプレーを導入するなど革新的な試みをした人物でもあった。幾度かの挫折を乗り越え、輝きを放ったその人生には、学ぶべき点が数多い。

■人物データ

●生年月日/1920年3月23日(2013年10月28日没、93歳)
●出身地/球磨郡大村(現・人吉市)生まれ
●職業/プロ野球選手、監督、野球解説者
●身長/174p
●体重/75kg

■名言

「疲れるまで練習するのは普通の人。倒れるまで練習しても並のプロ。疲れたとか、このままでは倒れるというレベルを超え、我を忘れて練習する、つまり三昧境(さんまいきょう=無我の境地)に入った人が本当のプロだ」
 
「無駄になる努力はない」
 
「監督の仕事の『大義』は試合で勝つことです。そのために能力と経験を身につけた人間が選ばれている。いかにして試合に勝つか。その一点こそが、唯一絶対の目的であり、それを達成する過程においては、個々のプレーヤーへの同情や感傷などの小義は禁物なのです」
 
「ときに部下や周囲の不興を買うことがあったとしても、大義を表現するために成すべきことを成す。そういう強い信念を持った人間でなければ、リーダーは務まりません」

■ゆかりの地

●川上哲治記念球場(人吉市蟹作町字西田1531-1)
 人吉市の名誉市民である川上氏から愛称をもらった球場。氏にまつわる品々
 の展示コーナーもあり。
●人吉西小学校
 川上氏が通っていた学校。
●熊本工業高等学校
 川上氏が通っていた学校。
●済々黌高等学校
 川上氏が通っていた学校。
●人吉高等学校
 川上氏が通っていた学校。

■ゆかりの人

●長島繁雄/選手・監督時代のチームメート
●王貞治/選手・監督時代のチームメート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■紹介文

 現役時代から「打撃の神様」といわれ、戦時中から戦後におけるプロ野球界の大スターとして活躍。監督としては王貞治・長嶋茂雄らを率いて読売ジャイアンツの黄金時代を築き上げ、プロ野球史上唯一の「V9」(9年連続セ・リーグ優勝、日本一)を達成するなど、多大なる功績を残し、「プロ野球の生き神様」とまで呼ばれる伝説的な存在となった。愛称は「打撃の神様」「哲」「ドン川上」、長年世田谷区に居住したことから「野沢のおやじさん」。

タイトル、表彰、記録も多数。
【タイトル】
●首位打者:5回(1939年、1941年、1951年、1953年、1955年)
●本塁打王:2回(1940年、1948年)
●打点王:3回(1939年、1941年、1955年)
●最多安打:6回(1939年、1941年、1947年、1953年、1955年、1956年)※歴代2位。当時連盟表彰なし。
 
【表彰】
●MVP:3回(1941年、1951年、1955年)
●ベストナイン:10回(1940年、1947年 - 1949年、1951年、1953年、1955年 - 1958年)
●日本シリーズMVP:1回(1953年)
●日本シリーズ首位打者賞:1回(1953年)
●日本シリーズ技能賞:1回(1958年)
●日本シリーズホームラン賞:1回(1952年)
●オールスターゲームMVP:1回(1951年 第1戦)
●野球殿堂入り(競技者表彰:1965年)
●勲四等旭日小綬章(1992年)
●文化功労者(1992年)
 
【記録】
●シーズン打率:.377(1951年)※歴代8位
●シーズン打率3割以上:12回(1939年 - 1941年、1947年、1949年 - 1956年)※歴代3位タイ
●シーズン三振数:6(1951年)※最少三振日本タイ記録
●打率ベストテン入り:15回(1938年秋 - 1941年、1947年 - 1957年)※歴代3位
●8年連続シーズン打率3割以上(1949年 - 1956年)※歴代2位タイ
* もし1948年にあと1本ヒットが出ていればこの年も打率3割到達となり、打率3割は1947年からの10年連続となっていた(歴代1位は張本勲の9年連続)
●9打数連続安打(1939年4月9日 - 9月11日)
●10試合連続打点(1949年4月3日 - 4月14日)
●1試合3三塁打(1939年6月21日)※日本タイ記録
●1イニング2本塁打(1948年5月16日):対金星スターズ戦、1回に2ランと3ラン。日本プロ野球史上初
●逆転サヨナラ満塁本塁打(1949年4月12日):対南海ホークス戦、スコアは6対5(お釣り無し)※日本プロ野球史上初
●日本シリーズ通算打率:.365(159打数58安打)※80打数以上では、歴代1位
●サイクルヒット:1回(1954年7月25日、対広島カープ戦、前橋市民球場)※史上11人目
●通算2000本安打達成(1956年5月31日)※史上初。1646試合目での達成は史上最速
●通算猛打賞:194回 ※歴代2位
●オールスターゲーム出場:7回(1951年 - 1954年、1956年 - 1958年)

 

■参考資料

 

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