■紹介文
「四賢婦人」と讃えられる矢嶋家姉妹の三女。夫・竹崎茶道と阿蘇郡西原村や玉名郡横島町を開拓するとともに、私塾を開き教育にも力を注いだ人物である。1889年(明治22年)、熊本で最も古い女学校を創設。多くの女性の人材を世に送り出した、明治における女子教育の先駆者である。
1825年(文政8年)、矢嶋家の三女として益城町に生まれる。1840年(天保11年)、横井小楠の弟子・竹崎茶道(律二郎)に嫁ぎ、酒造業を興すも、米相場に関わり失敗。1843年(天保14年)、阿蘇郡西原村布田で開墾生活を始める。その傍らで私塾『竹崎塾』を開き、手習いを教えるなど教育にも力を入れる。1860年(万延元年)、夫の兄・木下初太郎が拓いた干拓地の経営のために玉名郡横島町へ移住。同地の開墾に尽くす。
1870年(明治3年)に熊本市へ移住。夫が『日新堂』という私塾を開き、順子も15名ほどの女生徒を教えた。1877年(明治10年)、夫が死去。1887年(明治20年)、キリスト教の洗礼を受ける。1889年(明治22年)、熊本女学校を創設。81歳の終焉まで校長として責務を全う。現在も校母として尊敬されている。
なお、四賢婦人は結束が強く、姉妹、そして一族で協力しながら志を達成して来たことも注目すべき点である。四女・久子は徳富一敬に嫁ぎ、徳富蘇峰・盧花兄弟の母として有名。五女・つせ子は幕末の思想家・横井小楠に嫁ぎ、大業を支えた。六女・楫子は女子教育と婦人の福祉向上に尽力、日本キリスト教婦人矯風会の初代会頭も務めた。