トップ

No.101

坂本 善三 さかもと ぜんぞう

【ジャンル】文化人・芸能人

東洋と西洋の芸術を見事に融合!世界で賞賛される「グレーの画家」のズバ抜けた感性が時を越える!

■偉業・特記事項、ココがミソ!!

●小国町出身の坂本善三は、「グレーの画家」「東洋の寡黙」と評される抽象画家として知られている。故郷の風土や自然に根差した坂本善三の作品は、日本独特の抽象画であると世界でも高い評価を受けた。
●戦火により東京池袋のアトリエが全焼、熊本市の大水害により戦後作品のほとんどを失うなど、二度の災害に見舞われるも、14年の歳月をかけ同じ作品を制作し、生涯を通して不屈の精神で取り組んでいる。亡くなるまで熊本で制作を続け、熊本の美術界に大きな足跡を残した。
●熊本市新庁舎の壁画・緞帳、熊本市立図書館の壁画などを制作。世界的芸術家でありながら、郷土愛に満ちた精神で地元に貢献。

 身分の高下を問わず、接する人々誰もが彼を大事に思うようになってしまうという、善三の不思議な人間的魅力の原点とは?
月日を重ねた今でも全く古びた印象を受けず、どこに置いても全てに調和し、大きな存在感(安心感)を放つ作品の数々は、まさに善三の心そのものである。郷里 阿蘇小国町の季節の移り変わりや、凛とした空気感、鬱蒼と林立する杉林などの大自然に囲まれた日本特有の素朴な環境で育まれた静寂の芸術家から、我々が学ぶことは大きい。

■人物データ

●生年月日/1911年3月15日生まれ(1987年10月14日没、76歳)
●出身地/熊本県北小国村(現:阿蘇郡小国町宮原)
●職業/画家
●画家暦/
1929年 旧制大津中学校卒業後上京、本郷絵画研究所、帝国美術学校(現武蔵野美術学校)に学ぶ
1935年 入隊。以後召集と除隊を繰り返しながら制作する。
1945年 終戦を機に帰熊。阿蘇坊中に住み、制作を再開する。
1947年 海老原喜之助に師事。独立賞受賞。
1948年 熊本県立阿蘇農業高等学校に講師として勤務。
1950年 医家美術グループ「杏美会」の講師となり、以後36年間に渡り毎月1回の研究会を続ける。
1957年 渡欧。パリで制作活動を行う。1959年帰国後、作風は日本の風土に根ざした抽象絵画へと変化する。
1967年 現:三愛高原ホテルの壁画を制作。
1968年 九州産業大学芸術学部教授となる。
1968年 第9回日本国際美術展招待出品作「連帯」を文部省が買い上げ。(現東京国立近代美術館所蔵)。
1972年 福岡教育大学非常勤講師となる。(4/1〜9/30)
1973年 第12回熊本県文化懇話会賞受賞。第1回長谷川仁記念賞受賞。
1976年 熊本山鹿温泉プラザ外壁の壁画を制作
1981年 熊本市新庁舎1・2階の吹抜腰壁ブロンズ「炎」、2階A・B両コア壁ブロンズ「連帯」、14階大ホール緞帳        「茜」を制作
1982年 熊本市立図書館の壁画を制作
1985年 熊本県立美術館にて「坂本善三展」開催。
1986年 FIEST展(パリ)で「構成80」がグランプリを受賞。
1987年 10月14日永眠。(享年76歳)
      遺族から多数の作品が小国町に寄贈されたのを機に美術館建設構想が起こり、1995年坂本善三美術       館が開館。
2011年 生誕100周年を記念して、県内各地で記念展が開催される。   

■名言

「熊本は僕にも君にも寝床だ。大切にしなければいけないよ」
「とにかく描くんだ。描いて、描くほかにない。描けなくとも描くうちに何かをつかむ。根性もついてくるだろう。今は上手下手がどうのこうのではない。その場その場で自己の力量を出し尽くすことだけだ。決して出し尽くした時が終わりではなく、出し尽くした時、初めて次の仕事へ展開する。頭で描こうとすることはやめなさい」
「ヨーロッパ絵画のブラック(黒)には量を感じるが、日本の墨の色には心を感じる」
「日本の近頃の美術は、モチーフに始まってテーマがない。絵画哲学というか理念がない。そして過程をもたない」

■ゆかりの地

旧制大津中学校(現県立大津高校)
本郷絵画研究所
帝国美術学校(現武蔵野美術大学)西洋学科
東京日日新聞社(現毎日新聞)
九州産業大学(教授就任)
熊本市役所(新庁舎の壁画・緞帳など3種を制作)
熊本県立美術館・坂本善三美術館・

■ゆかりの人

清水多嘉示・林武・清水登之・三岸好太郎 (有名画家で「坂本善三後援会」発起人)
横田定雄・高野弦雄・井上敬次郎 (同郷の在京有力者)
岡田三郎助 (在京有力者に善三の存在を伝えた佐賀出身の有力者/本郷絵画研究所の師)
海老原喜之助(善三が師として尊敬する人物。戦災時に全作品を消失した時に出会い助けられた人物)
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■紹介文

 小国町出身の坂本善三は、「グレーの画家」「東洋の寡黙」と評される抽象画家として知られている。故郷の風土や自然に根差した坂本善三の作品は、日本独特の抽象画であると世界でも高い評価を受けた。亡くなるまで熊本で制作を続け、熊本の美術界に大きな足跡を残した。阿蘇の懐に抱かれた小国町は、霧となり雪となるとその豊かな色彩の大自然はたちまちモノクロームの世界となる。これこそ坂本善三の世界であり、彼が世に送り出した品格のある作品の根っこの部分となっている。

 昼は美術学校に通う文字通の苦学生、夜は新聞搬送の作業員であった善三がわずか22歳の時、当時日本の美術界に大きな足跡を残し、話題の中心にあった気鋭画家たちが発起人となり「坂本善三後援会」が結成。また、当時日本の最上層にいた人物達もまた発起人であり、深く目をかけてくれた信じがたいような話は事実である。天才的な才能と愛情豊で繊細な人柄は、善三に縁した多くの日本の大家たちが魅せられた。

■参考資料

坂本善三美術館しおり
坂本善三作品集
善三先生と私/坂本寧著

Database Factory