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No.016

鹿子木親員入道寂心 かのこぎちかかずにゅうどうじゃくしん

【ジャンル】その他

今なお残る日本の名木、産みの親!

■偉業・特記事項、ココがミソ!!

●菊池氏最後の当主・菊池義武に仕え、のちの熊本城の基礎となる隈本城を築き、城主となった。
●「寂心さんの樟」と呼ばれる樟があり、寂心の墓石とされるものを巻き込んでいる。

熊本市民にとって親しみのある名木「寂心さんの樟」を植えた人物。その才能は多岐に渡っており、隈本城については現在残る熊本城に比べ、広く知られていない。

■人物データ

●生年月日/不詳(1549年3月31日(天文18年3月3日)没)

■名言

 

■ゆかりの地

●寂心さんの樟(くす)(熊本市北区北迫618)
●藤崎台(熊本市中央区宮内2)
 

■ゆかりの人

●菊池義武(よしたけ)(大友重宗)/寂心が仕えた肥後国の名族・菊池氏の最後(第26代)の当主。大友氏出身だが、菊池氏一門の木野親則を曽祖父に持っており、菊池氏の血を引く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■紹介文

 戦国時代、熊本市北部一帯の鹿子木荘(荘園)の地頭・豪族。「肥後国の老者」といわれ、文武に秀でていた菊池氏の重臣である。「隈本城」を築き、城主となったといわれており、この城が現在の熊本城の基礎になったともいわれている。熊本市北区にある「寂心さんの樟」は寂心手植えの木と伝えられ、根元にはその墓石を巻き込むような形で成長していることから、その名で呼ばれるようになった。推定樹齢は800年といわれ、整った樹形と枝振りや根針の大きさなどでクスノキの名木のひとつに挙げられ、熊本県指定天然記念物や「新日本名木100選」に選ばれている。
 また、寂心は藤崎宮を再興しており、明治10年までは現在の藤崎台の場所にあった。ちなみにここにも樟があり、こちらは7本も残っている。
 

■参考資料

熊本市北部商工会「寂心さんの樟」
【WEBサイト】
 
熊本市立熊本博物館「鹿子木寂心肖像画」
【WEBサイト】
 
コトバンク「鹿子木寂心」
【WEBサイト】
 
ウィキペディア「寂心さんのクス」
【WEBサイト】
 
ウィキペディア「熊本城」
【WEBサイト】
 
くまもと緑・景観協働機構「老樹名木めぐり 藤崎台の樟郡(詳細)」
【WEBサイト】
 
ゆかりの地 藤崎台
熊本市観光情報サイト 満遊くまもと「藤崎台のクスノキ群」
【WEBサイト】

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