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No.018

小山 勝清 おやま かつきよ

【ジャンル】文化人・芸能人

巌流島の闘い以降の武蔵を描いてベストセラーに!

■偉業・特記事項、ココがミソ!!

●『山犬少年』(1956年)で小学館児童文化賞を受賞。
●巌流島での闘い以降の武蔵を描いた『それからの武蔵』を執筆。

巌流島での佐々木小次郎との闘いの後の宮本武蔵の行動を書いた『それからの武蔵』を新聞連載し、大反響を呼んだ作家・小山勝清。この小説には、勝清の故郷である相良村にも武蔵が訪れ、人びとを困らせるヒヒを退治する場面もあり、郷土愛にも満ちた人物と言える。『それからの武蔵』は出版され、日本のみならず、世界でも読まれる名作に!

■人物データ

●生年月日/1896年3月29日(1965年11月26日没、69歳)
●出身地/球磨郡四浦村晴山(現・球磨郡相良村)
●職業/作家

■名言

 

■ゆかりの地

●小山勝清文学顕彰碑(相良村役場近く、深水地区の鳥越丘にある。「山はほらあなである」という不可解な勝清の言葉が刻まれている)

■ゆかりの人

宮本武蔵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■紹介文

 熊本県立鹿本中学校(現・熊本県立鹿本高等学校)卒業後、1918年に堺利彦の門下生となる。その後、労働運動、農民運動を経て柳田國男に師事し、民俗学に関心を持つ。児童文学の創作で、「少年倶楽部」に『彦一頓知ばなし』でデビューした。56年『山犬少年』で小学館児童文化賞受賞。 巌流島の決闘で終わっている吉川英治の『宮本武蔵』に対して『それからの武蔵』を描きこれが広く知られる。 明石元二郎の評伝もある。
晩年帰郷し1965年に熊本県人吉市で死去した。

■参考資料

熊本県HP

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