■紹介文
小泉八雲(本名:ラフカディオ・ハーン)は、ギリシャ出身の新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家。東洋と西洋の両方に生きたとも言われる。
日本における八雲の業績は、先ず英語教師としてのもの、『怪談』など文学作品を通しての作家活動、『日本暼見記』から『日本―一つの試論』に至る十三冊の著書によって日本を世界に紹介した日本研究家(ジャパノロジスト)としての面の三つが指摘されている。
神戸時代の一時期を除いて、松江(明治23年)、熊本、東京でそれぞれ中学、高校、大学の教壇に立った。熊本の五校には、小泉セツと結婚(明治24年)した後、赴任。校長の嘉納治五郎や教授の秋月胤永らの好遇を受け、熊本の風土と純真素朴な五高の学生に親近感を抱く。その後、多くの名作を発表するが、それらは熊本での貴重な収穫によるものである。
熊本で3年間を過ごした後に、神戸クロニクル社、帝国大学文科大学(東大)で7年間英文学講師を務めた後、早稲田大学(明治37年3月)に奉職したが、そのわずか半年後の9月、狭心病のため他界した。
1896年(明治29年)、日本国籍を取得して「小泉八雲」となり、後に様々な著作物を残す事になる。
八雲は生涯の最後の十四年間を日本で過ごすことになったが、それは日清・日露の両戦争に挟まれた期間であった。日本の伝統的精神や文化に興味を持ち、自然崇拝と祖先信仰、この二つが日本人の宗教観の根源を成すと考えた。著書により、日本を広く世界に紹介した八雲だが、その集大成と言える『怪談』は、死の直前に完成し、明治三十七年(1904年)に出版された作品である。